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『映画は陽炎の如く』(犬塚稔 著 2002年、草思社 2200円+税金)

この本の著者犬塚稔は、1901年というから、明治34年生まれの映画監督にして脚本家。御年(2005年現在)104歳という高齢ながら、未だ創作意欲衰えず、大正末期から昭和中期まで映画監督として、脚本家として活躍していた御仁。以前は度々NHKの映画をテーマにしたドキュメンタリーにインタビュー出演していた。が、驚かずにいられないのは、かの名優長谷川一夫こと林長二郎の主演第一回作品『稚児の剣法』(昭和2=1927年)の監督でもあるということ。尚、同作品は、後に特撮の父と呼ばれる円谷英二が初めて一人立ちしたカメラマンとしてデビューを果たしている事から、その意味も含めて、必ず日本特撮映画史上に登場する。

そして、以後昭和30年代まで監督をして、シナリオは昭和40年代まで書き続けた、京都シナリオ作家協会の最長老として活躍した。代表作として、勝新太郎が主演した人気作『座頭市』シリーズの原作者として高名である。

私が犬塚監督の存在を初めて知ったのは、中学2年生の頃、昭和56=1981年に放映されたNHKテレビ『歴史への招待』の、無声映画をテーマにした回で犬塚監督がコメントゲストとして出演しているのを観た時だった。他にも喜劇俳優の伴淳三郎や、大映映画で時折顔を見る菊野昌代士、東映映画の名脇役の一人団徳麿がコメントゲストとして出演していた。

監督自身の生い立ち、思い出話なのだが、その中に、私が一番知りたかった、明治文学の中に登場する浅草の街並みのナマの様子などが、作家ならでは、体験した者ならではの臨場感から伝わってくる。そしてなによりも、その体験者が同じ現代に生存してくれている事が嬉しい。私は地域の歴史を調べる時、確かに多くの書物を読むが、実際に、この街でその時代の空気を吸った古老たちの話を聞くのが好きだ。それは、生きた人間同士が、対面して思い出話を伝えようとする姿勢、それを体験はしていないながらも吸収しようという二者間の姿勢が、人と人との関係性を生み、伝えられた者は、そうそうに披瀝する事も無いながら、後々伝承していくという一種の義務というか、昔の書物や物語の伝え方にも似た、一種のロマンを感じる事が出来るのだ。そういった感覚に近い感動を持って読み進んだ。

だが、意外に感じたのは、黒沢明と終生面識が無かったという事。かつて犬塚監督の助手を勉めた名匠森一生監督は、黒沢監督とは親友の間柄で、黒沢監督は時折、森監督にシナリオを提供していたり、お互いにライバル視していたはずだが、私が考えるのは、黒沢監督から観れば土俵が違うのか、京都のシナリオ界の大御所として、名前や作品は知っていたと思うのだが、同じ映画界にあっても縁が無かったのだろう。

まあ、思い出話で終始すれば、ありきたりの自伝で終わっていたのだろうが少し違った。と、いうのも、かなり、他人の批判をしたり、勝新太郎を相手取って、裁判を起こした時の事などを詳細に描いていて、少し、気分的にイヤになってしまった。と、いうのも、犬塚監督が敵対視している人々はいずれもすでに故人となっている。阪東妻三郎や衣笠貞之助監督などだが、阪妻との不可解な離別、衣笠監督との嫌っているけれど終生続いた腐れ縁、長谷川一夫との交友などに誌面が割かれているのだが、作家ならではの緻密な文章力で、その様な人の批判記事が目の前に再現されるのは心が痛んだ。挙げ句には、その人々の作品を見るのも憚られるくらいにイヤな想いを抱いた。だが、見方を変えれば、美辞麗句を並べるより、そういった人々の、あくまで、側にいて傍観者、あるいは当事者となった犬塚監督自身の立場からの視点も、その人の人間臭さを透かし見る、ひとつの意見として取り入れて読み進めば、面白く感じる事が出来るのである。若造がいうとカドが立つが、先人とかが言うと耳を傾けてしまうという事はあるだろう。

だが、私を不快にさせたのは、すでにほとんどの登場人物が死去している欠席裁判の様な意味合いが、私を不快にさせてしまった。

中でも、阪妻ファンで、田村高廣ファンの私から言えば、犬塚監督の立場から言えば「撮影も無事終了したし、編集などのあとの事は、妻さんサイドでやってくれるだろう」と思って千葉の撮影現場から帰京したつもりだったが、阪妻サイドはその様に取らず、「犬塚は作品作りを放棄した!!」と言った側近がいて、阪妻もそれに同調したのだろう。阪妻との不可解な別離は、その様に捉えることが出来た。人と人との人間関係(縁)は不思議で難しい。

確かに、毒が強烈過ぎて、嫌悪感を抱いてしまうのだが、その”毒”というか”批判精神”みたいな物が、芸術家たる所以なのかも知れないし、それは批判されている人々にも、同じことが言える事なのである。

だが、その反面、驚かずにはいられないのは、巻末に収録された、『勝新太郎裁判』のきっかけとなった未製作映画用脚本『罰当たり座頭市』(平成2=1990年)を読んでいる時の事である。読み進むと、次から次へとその景色が想像され、別に古さも感じないし、オーソドックスではなく、いくつかの仕掛けも用意されていて、大変、楽しく読む事が出来た。この脚本を読んだ時に、勝新には悪いが「こりゃ、勝新と一派は確実にシナリオを読んでいて、映画化をしようと思ったけれど、映画化が頓挫したのでギャラが出せないので、ウソをつこう」と口裏を確かに合わせたかも知れない、と、思わせてしまう迫力があった。執筆当時88歳。まだ筆力は衰えていない。

一昨年だったか、ビートたけし主演監督で『座頭市』がリメイクされたが、あれはあれで斬新でいい。だが、この『罰当たり座頭市』には、子供の頃テレビ、映画で慣れ親しんだ座頭市の姿があり、ビートたけしの座頭市は、あくまで勝新太郎が、当たり役として構築して、『犬塚原作版座頭市』からの脱皮を図るべくあみ出した『勝新原作版座頭市』のスタイルを確立する事に成功し、それを、たけしなりに踏襲しながらあみ出した『武原作版座頭市』の創作、映像化に成功したのだと解釈するべきだろう。私は、今ひとつ、武版の座頭市は細かい不満が残るながら、随所に斬新さの発見があって楽しかったのは否めない。

映画ファンとして、『武版座頭市』の製作発表があった時、心の片隅で犬塚監督が健在なのを思い出した。その時、刹那「俺がたけしみたいな立場か、プロデューサーだったら、ダメ元で犬塚監督に監督していただきたい。叶わなければせめてシナリオだけでも…」と考えたのだが、勝新太郎主義者の友人に聴くと「そんなおじいさんの書くシナリオは古いやろ!?」と答えた。まさに、勝新が裁判で犬塚監督を侮辱した時の文言に近い事を言っていた。だが、彼が犬塚脚本の『座頭市物語』(1962=昭和37年 三隅研次監督 大映京都)を観て、絶賛していたので、心の中で「ざまあみろ!!」とほくそ笑んだ。

最近は、かつての木下恵介監督よろしく、脚本も監督も自分でする監督が増えている。それはそれで、その人の器量だから構わない。ただ、「そのせいか、映画が面白くなくなってきている」と監督も発言している部分に少し、私は時代の要求した作品とか、感覚とか、犬塚監督が活躍した『映画が産業として成立した時代』と『現代の映画の社会的立場』を痛感して仕方がない。実際、現在、収益をあげることの出来る日本映画は年間公開作のどのぐらいなのかはわからないが、テレビ局が製作したドラマの映画版や、なにかしらの広告戦略があって、元々、自力で自分たちの観たい映画を選ばない一般大衆は、情報誌を読み、本当に自分が観たい映画を探す様な事がなく、なんの違和感もなく映画館に足を運ぶ。つまり、それだけ、一般大衆の映画の捉え方が変わってきている。実際、私自身も映画館でのロードショーで映画を観る機会よりも、レンタルビデオで映画を観る事の方が桁違いに多い。だって、映画って見に行くのに、入場料1500円〜1800円って高く感じる物…。お気に入りの映画の追っかけも、ロードショー館→2番館→3番館とごく希にするけれど…。2番館、3番館となると、同時上映の作品がお気に入りになる副産物もあるが、テーマから逸れそうなのでまたの機会に。

犬塚監督も「良いシナリオがあって、良い作品が出来る」と言っている事に納得してしまい、改めてシナリオライターの偉大さを知る一冊で、最後のシナリオ掲載で、その前半のイヤな気持ちのいくつかはチャラになったと書いておこう。



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